人間社会における浄化行動について
浄化行動に共通する恐ろしいことは、"何をしても正義の名のもとで正当化されてしまう"という点である。
たとえば、万引きや飲酒運転などをtwitterでうかつにもつぶやいてしまった若者たちに対するネットユーザーの浄化行動は凄かった。
その人の個人情報を特定し、就職内定先に連絡をし、所属する大学からの退学を促す行動にまで出ている。
すごく宗教的な浄化行動ではないだろうか。
なぜ(ネットユーザーの一部の)人は、そこまでするのか。
生物学的視点でひとつの仮説をたてると、「自分が支持した考え」「自分が信じる価値観」というのは、生きる戦略そのものだからだ。
生きる戦略というのは我々生き物にとってとても重要だ。
その戦略を間違えると死んでしまうのだから。
そこで、我々人間はみんな、人生の中で「こうやって生きていくのが正しい」というものを学び、それを信じ、それに従って生きている。
そこに自分とは違う戦略を持つものが現れると、自分が信じるものが揺さぶられる。「お前の生き方は間違っている」と。
生き物としてとても重要な部分が揺さぶられるから、無意識のうちにそれを恐れ、排除したい、自分の方が正しいことを認めさせたい、そういう気持ちが働くのではないか。
人間とは、いったんある考えに染まり、その考えを支持すると、それ以外の考えを排除したくなる生き物なのだ。
根っこにあるのは、自分の考えと違うものを攻撃する、そういう意識だと思う。
ある意味、人間の免疫機能と似ている。
自分以外のモノ、すなわち"異物"を全力で排除しようとする。
人間は基本的に自分とは違うものが怖い。
なぜならば、自分を破滅させるかもしれないから。
テレビがよくネット上の人々に浄化行動を起こされているのは、テレビが彼らの信念と違う考えや主張を発し、なおかつ彼らの信じる世界を汚す力をもっているからだろう。
浄化行動はこれからもあらゆるところで起こり続ける。
だが、実は免疫機能にはトレランス(免疫寛容)という、簡単に言えば異物を許すというかスルーする機能もある。
たとえば、食べ物は異物だけど、食べても免疫機能は働かない。
トレランスは重要な機能で、それが狂えば体調が悪くなる。
アレルギーの主な原因のひとつがそれだ。
だから本当は、何でもかんでも排除するのはよくないのだ
ただし、それを声高に主張することは危険である。
なぜならば、そうすることによってわが身が浄化されてしまうおそれがあるからである。
追記:
備忘録です。
昔、ネットで見つけた記事に加筆しました。
著者は定かではありません。
ご存知の方がもしいらっしゃればお教えくださいますと幸甚です。